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「黒猫の三角」ネタバレ書評
このプロローグはやはり、鮎川哲也「薔薇荘殺人事件」の趣向を意識した
ものだと私は思う。事件が終わった後に、平然と登場している人物。そこで
読者の容疑者リストから退場!という寸法である。実はプロローグにでてく
る人物と、本編に登場する人物は別人(偽物)であるのだが、、、 .
短編においては、この趣向は綺麗に決まると、読者へのインパクトは非常
に大きなものとなる。謎解きの途中においてすらも「えっ、だって?」と、
読者の一部を混乱させかねないほどの、鬼の趣向である。 .
しかし、本書においては、その効果のほどはいかほどであろうか?長編の
プロローグ、しかもさりげなく描写されたシーンを、最後まで読者はしっか
りと記憶しているものであろうか?忘れん坊の読者、はなっから気にもかけ
てない読者、そういう読者は、自分がそういう読者であったことを後悔し、
「自分は森博嗣の読者に向いてないんだなぁ」と反省した方がいい? .
やりようはあるのだ。プロローグと同等な趣向を、章の合間に時々挿入す
るなどは簡単だし、そもそもプロローグをもっと強く印象づけるように書き
込むことは、大して困難な話ではない。 .
更に加えて、森博嗣は、この趣向に対するフォローを、全く行おうとして
いない。たとえ、プロローグを注意深く読んで、容疑者リストから保呂草探
偵を退場させていた読者でさえも、いつまでたっても探偵らしきことをやろ
うとしない(思わせぶりな言葉を吐いたり、何かを調べようとする動きを見
せたり、そういう素振りを全く見せようとしない)彼に対して、不審感を抱
くはずだ。この時点で遡って考えると、「薔薇荘」を知っている読者、もし
くは未読でも勘の鋭い読者ならば、先の仕掛けはわかってしまう可能性はか
なり高い。 .
探偵らしき行動パターンを、幾つか取らせておけば、疑いを抱く読者も少
なくなり、ラストの意外性も出てきたことだろう。しかし、この描き方では
保呂草探偵が本書の探偵役ではないことは、あまりにも容易に想像がつきす
ぎ、だとすれば、探偵として登場するにも関わらず、探偵役でない人物は、
ミステリでは犯人だと相場が決まっている。これでは、意外性などひとかけ
らも感じることは出来ないのだ。単なるお約束のパターンじゃないか。 .
どうにかしてよ、と言いたくなった読者は、私だけではないと思う。 .