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静止したエデン
(前編)
「ロブ、今度のヤマはいったい何だって云うんだ。やけに<彼女>
の機嫌が悪いぜ」 .
もう夕方だというのに、寝起きのままの髪を掻き上げながら、相
棒のジョーが訊いてくる。熱いコーヒー・カップを渡すと、旨そう
にすすりながら俺を見上げる。 .
「Kマンさ。ジョー」 .
だらしない格好はしていても、さすがに目だけは光る。刑事の習
性か。 .
「ジョークだとしたら三流だぜ」 .
「あいにくと三流の物は好みじゃなくてね」 .
「本当にKマンなんだな?」 .
「間違いない。<彼女>がそう言ってるんだ」 .
「それを俺達がやるってのか?」 .
「でなきゃお前さんを呼びはしないよ」 .
「で、いつやる?」 .
「今日、今すぐだ。そのカップのコーヒーがなくなったらな」 .
熱いままのコーヒーを、ジョーは一気に喉に流し込んだ。 .
スピードウェイに足を乗せるとすぐ、ジョーは詳しい情報を求め
た。 .
「いや、たいしたことは解っていない。まだ、名前すら解らないん
だ。唯一の情報はアッパーマンズ・クラブって酒場に、奴が現れた
ことがあるってことだけだ。そこの常連かどうかも解っていない。
旅の途中にでも立ち寄っただけかなんかだったら、オールエンド.
さ」 .
「それだけからKマンを捜しだせってわけか。<彼女>も随分性格
悪くなったもんだな」 .
「とにかくアッパーマンズ・クラブに行くしかないってわけさ」.
「しかし本当にKマンは存在しているのか?」 .
「<彼女>が嘘をついているのでなければな」 .
「コンピューターがか?」 .
「人間と同じさ」 .
ジョーの考えももっともだ。俗に3Pと呼ばれる完全警察機構が
出来てから、一世紀以上たっている。その間Kマンの噂を聞いたこ
とはわずか1〜2度しかない。勿論、その噂が確認されたこともな
い。 .
3P、それは2242年、犯罪生理学者カウフマン博士によって
初めて提唱された。彼の研究によれば、人間は犯罪を考える時、必
ず一定の副脳波曲線、一般に言われるところのクライム・ウェーブ
を描く。そこで全人類の脳に超小型の脳波探知機を埋め込み、それ
より40年前に全世界をつないだ、超万能コンピューターHOLI
DAYIIに連結させれば、あらゆる犯罪を未然に予防することが出
来るという理論だ。 .
時至り、脳波探知機も針の先ほどの物を、耳たぶの裏に固定させ
るだけでいい程に技術が進んだ2293年、ついにそれは法制化さ
れた。あらゆる人間、そして新生児は、決して剥せない探知機の装
着を義務づけられた。 .
これにより全人類の脳波はHOLIDAYIIによって観察される
ようになった。もし、そのうちのどれかがクライム・ウェーブを描
けば、まず軽い電気ショックが与えられる。一種の警告だ。もしそ
れでもウェーブが続いたり、振幅の大きい(つまり、激しい犯罪衝
動を意味する)ウェーブであれば、失神を誘発する程の強い電気シ
ョックが与えられ、3Pの一員である俺達に連絡が来る。勿論HO
LIDAYIIの端末を通じてだ。(ついでに言っておけば、俺達専
用の端末を親しみを込めて、<彼女>と呼んでいるのだ)俺達はそ
の後始末をするだけだ。 .
3Pの施行と共に、犯罪の後を追いかける時代は終わった。俺達
は犯罪の前を走り、そればかりか犯罪そのものが消滅しかかってい
た。今では月に一度仕事が有れば、多忙を意味するぐらいなのだ。
そして今日、カウフマン博士が理論的にはゼロであると断言した
Kマン、あらゆる犯罪を副脳波に、クライム・ウェーブを描くこと
なしに成し遂げ得る、生まれながらの犯罪者(殺人者の頭文字を取
って、Kマンと呼ばれる)を消去せよという指示が来たのだ。 .
「Kマンの犯罪歴は?」 .
「まだだ。<彼女>からは何も言ってこない」 .
「ま、いいか。ところで、勿論Aクラスだよな」 .
「そうだ」 .
Aクラスとは、発見次第除去せよ、を意味する。つまり、殺せ、
ということだ。この場合にのみ、3Pの刑事は電気ショックから解
放されるのだ。 .
「そこからウェスタンルートに移ろう」 .
「よっしゃ」 .
ウェイを降りて、もっと低速のルートに乗り移る。このルートで
109ポイントまで行けば、アッパーマンズ・クラブが見えるはず
だ。 .
夕闇が迫ってきていた。人工木立の色が夕焼けの紅色を失おうと
していた。 .
109ポイントでルートを降りると、所々文字の欠けたアッパー
マンズ・クラブのネオンが見えていた。随分古風な客引きだ。 .
「一杯やるにはいい時間だな」 .
「つぶれても送っていかんぜ」 .
「大丈夫さ。俺は仕事一筋だからな」 .
「どうだか」 .
今時滅多にお目にかかれない、足踏みの自動ドアを開けて中には
いる。やはり思った通り、旧式の酒場だ。本物の木のカウンターに
テーブル。壁にはバーチャルではない大きなダーツの的がある。テ
ーブルを囲んで男達の興じているのは、ポーカーというトランプゲ
ームらしい。ピンボールの台にジュークボックス。愚にもつかない
アナクロ趣味だ。今時こんな酒場があるとは。古き良き20世紀と
いう訳か。 .
「すごい!」 .
ジョーが感極まったような声をあげた。なるほど、この古風さは
ジョーの好みだ。 .
「仕事だからな」 .
ジョーに耳打ちして念を押す。ジュークボックスから流れる、ク
ラシックジャズの激しい音にかき消されそうだ。だが、逆に俺達の
話声も、隣のテーブルまで漏れる心配もあるまい。 .
ネズミ色の服を着たバーテンが近付いてくる。黒髪を伸ばした平
凡な顔つきの男だ。無表情に注文を聞く。 .
「バーボン、ダブルだ」 .
しばらく店の中を観察していると、グラスが二つ運ばれてきた。
ジョーは一息に飲み干して、早くも二杯目を注文する。 .
「さて、どうやってKマンを見分けるかだ」 .
ジョーが俺の目を覗き込む。 .
「ほとんど手はないな」 .
「一騒動起こすか?」 .
「今日のところはやめて置こう。まず様子を見るだけだ。<彼女>
がもっと情報をくれるのを待つんだ」 .
「それじゃあ俺は敵情視察といこうか」 .
席を立ったジョーは、ポーカーをしている男達のテーブルに向か
った。二言三言話しているようだったが、次の回からは仲間に加わ
っていた。さすがジョーだ。これで情報収集は任せて置いて良かろ
う。 .
俺はしばらくジャズのビートに身を任せていた。人工的な金属音
を本人すら理解不能なほどに、複雑に絡み合わせた現代音楽より.
も、よっぽど俺の頭脳にはいいようだ。勿論現代音楽の中に巧妙に
埋没している、ドラッグな不協和音の組み合わせが、俺には何の影
響も及ぼさないことも、関係してるのかも知れないが。”心地良.
い”を示す信号が俺の身体を巡っているようだ。ジャズに混じっ.
て、時折男達の笑いが巻き起こる。このアナクロ趣味を除けば、ど
こでも見かける酒場の喧噪だ。 .
離れたテーブルから足元をふらつかせながら、男が一人近付いて
きた。奇妙な感じに背を曲げた歩き方だ。ジョーに連れられて行っ
た、レトロ図書館の2Dフィルム上映会で見た、ノートルダムのせ
むし男を連想した。ブランドの服を着ているのだが、やけにアンバ
ランスだ。自動的に最適化されるはずの色彩の調整もできていな.
い。どうせ古着屋ででも買ったものなのだろう。 .
「俺は”いたち”と呼んでくれ」 .
聞きもしないのに自分から名乗る。呼び名の通り、狡猾そうな顔
つきだ。吊り上がった目が嫌みな感じをにじませている。 .
「あんた、新顔だな。名前は?」 .
「ロブと呼んでもらおう」 .
「相棒はポーカーに行ったようだが、あんたはやらんのかい」 .
「賭事は嫌いでね」 .
「酒も嫌いかい?」 .
ほとんど減っていない、俺のグラスをもの欲しそうに眺める。.
「ああ、そうだ」 .
グラスをいたちの方へ滑らす。いかにも口の軽そうな相手だ。酒
さえ入れば、金をつかませるまでもなく、何でも話してくれるだろ
う。決して秘密を打ち明けられないタイプの男だ。 .
俺は奴の話を聞きながら、時々誘導して必要な情報を手に入れて
いった。酒を二杯注文してやって、話がだんだん愚痴っぽくなって
きた頃、ジョーが戻ってきた。札の束を手にしている。相変わらず
賭事はおまかせってとこらしい。目配せして店を出る。 .
「今日は俺がおごるぜ」 .
「当たり前さ、ギャンブラー」 .
ネオンを背にして、ルートに足を乗せると、さっそく話が始まっ
た。 .
「あの店には十人以上の常連がいる。どいつも今の時代に飽き飽き
している野郎ばかりだ。もしも、そいつらの中にKマンがいるとし
ても、俺には見分けがつかんな。ところで、ロブ、いったい誰と話
してたんだ?」 .
「”いたち”と自分から名乗る奴さ」 .
「なるほど。クライマーにももなれん小悪党ってとこか」 .
3Pの出番となるほどの奴等を、俺達はクライマーと呼んでい.
る。いたちはごく軽い電気ショックでもびびるような奴だ。 .
「さて、俺は寝倉に帰るぜ。寄ってくか?」 .
そうしようかとも思った。たとえ酔えはしなくとも、ジョーと一
緒に久しぶりに呑み交わすのも良かろう。しかし、なんとなくKマ
ンのことが気にかかる。どうして<彼女>は情報を与えてくれない
のか。 .
「せっかくだが、今日はよしとこう。筺に戻って<彼女>と世間話
でもするさ」 .
箱とは俺達専用の支部だ。全国に五十程度はあるらしい。よりに
もよって、おれたちにKマンの仕事が回ってくるとはな。ジョーの
ようにやりがいがあると単純に喜ぶことは俺には出来ない。 .
B30ポイントでジョーと別れて、箱に向かう。今日の<彼女>
はどんなもてなしをしてくれるだろうか。 .