ホーム創作日記

      小説      
     ファンタジー(童話)     

千羽鶴

 もうだぁれも覚えていません。その少女が何という名前だったの
かも。たぶん、そんな少女がいたことすら、だぁれも覚えていない
でしょう。                        

 そう、まだ折り鶴が空を自由に飛んでいた、そんな昔のことだか
ら…                           

 

 少女には友達がいませんでした。幼い頃から寝床を離れることを
許されなかった少女には、それは仕方の無いことでした。   

 何人ものお医者様が呼ばれ、皆首を横に振りながら帰って行きま
した。両親のうなだれた肩を見ながら、それでも少女はニッコリと
微笑みました。                      

「心配しないで。お父さん。お母さん。わたし、今のままで十分幸
せよ」                          

”ただ”と少女は心の中で呟きました。”ただ友達が欲しいだけ”

 

 少女は土を知りません。外を自由に駆け回るときの、風の心地よ
さを知りません。視界を越えた道の向こうに何があるかも知りませ
ん。                            

”それでもいい”と少女は思いました。”ただ友達が欲しいだけ”

 

 ある日少女はお母さんから、鶴の折り方を教わりました。  

「まず、こう三角に折って… 最後に首を折り曲げて、ほら、これ
で出来上がり。さあ、ここに息を吹きかけてごらん」     

「うん」と言って、少女がそうした途端、折り鶴が羽ばたき始めま
した。そして、少女の手を離れて、外へ向かって飛んでいきまし
た。                           

「うわぁー」と少女は目を輝かせました。陽光にきらめくその羽根
を見つめながら、少女は考えていたのです。         

”もしかしたら、もしかしたらこれで、友達ができるかもしれな
い”と。                         

 

 その日から少女は鶴を折り始めました。一羽、一羽、それはもう
心を込めて。まるでそれは、自分の命の一しずく、一しずくを折り
込むかのように見えました。                

 一羽折る度に、少女は心の中で叫んでいたのです。「友達になっ
て。お願い、友達になって」と。              

 でもやはり折り鶴には、少女の叫びは届きませんでした。少女の
手を離れて、開けられた窓を越えて、広い大空へと羽ばたいていっ
てしまったのです。その後ろ姿を見つめる少女の目を見て、お母さ
んは少女の心を知りました。                

「窓を閉めましょうね」                  

「いや」少女は思わず叫びました。涙が一筋、少女の頬を濡らしま
した。                          

「ありがとう、お母さん。でも、窓は開けたままにして」   

 

 一週間が過ぎました。                  

 そして、一か月が過ぎました。              

 少女はあまり起きあがれません。一羽も折れない日もあります。
それでも少女は折り続けました。              

「千羽も折ればきっと…」                 

 十羽、二十羽、百羽、二百羽… 夏が過ぎて、秋が来ました。
 七百羽、八百羽、九百羽… 風花が舞う頃になりました。  
 九百九十七羽、九百九十八羽、九百九十九羽…       

「さあ、これが千羽目の鶴」最後に残った金色の鶴。     

 一折りする度に、少女は心の中で呼びかけていました。「お願
い。友達になって」                    

 そして、満身の願いを込めて、最後に息を吹き込みました。あ
あ、しかし、その願いもむなしく、今度もまた窓へ向かって、折り
鶴は飛んでいったのです。                 

「待って!」初めて声に出して少女は叫びました。      

「お願い。私の友達になって!」              

 泣きじゃくりながら少女は何度もそう繰り返しました。長い間言
えなかった言葉なのに(もしかしたら、だからこそ)止めることが
できません。                       

 その時少女の瞳からこぼれた涙が一粒、祈るように向かい合わせ
た手に届きませんでした。何かがそれをさえぎったのです。涙でゆ
がんだ視界の中に、金色に光るものを少女は見ました。    

「ありがとう。ありがとう…」               

 また別の涙を少女は止めることができませんでした。    

   

 その日から少女と折り鶴の日々が始まりました。      

 折り鶴は少女の周りを軽やかに舞い、少女はそれを見ているのが
好きでした。時々少女は鶴に話しかけました。野原を駆ける自分の
姿を。花瓶に入っていない生きた花々がいかに美しいかを。風がど
んな風に髪を揺らすかを。窓枠を通さない太陽の光が、どんなに暖
かいかを。疲れて寝転んだ草のベッドが、背中を包み込む優しさ
を。                           

 それらはみんな少女の夢。                

 そんなとき鶴は少女の肩に止まり、そっと頬に寄り添うのです。

「きっとよくなるわ。いつかきっと。そして私、野原を駆けるの」

 

 そんな冬のある日のことでした。少女の病気が急に重くなったの
は。高熱にうなされうわごとを言い、意識もなくなりかけました。

 呼ばれた医者も首を横に振るばかり。           

「どうしても駄目なんですか?」              

 泣きじゃくりながら、お母さんが医者にくいかかりました。 

「私の力ではこれ以上はなんとも」             

 すまなそうに医者は小声で付け加えました。        

「奇跡でも起こらない限りは…」              

  

 窓の方で何かが金色に光りました。            

「あの子が死んでしまう。あの子が死んでしまう。神様のところへ
行ければ、あそこまで飛んでいければ、そしたらきっと…」  

 鶴は飛びました。高く、高く、更に高く… 上昇気流に助けら
れ、横風に流され、上空の北風の寒さに震えながら…     

 でも所詮折り鶴一羽の力では、神様のところへ飛んで行けるはず
もありません。                      

「でも、もし… そうだ、もしも千羽の力が一つになったなら…」

 

 金色の鶴は捜し始めました。少女の手から生まれた鶴を。少女の
願いを身に秘めた鶴達を。あちらの街角、こちらの雲の峰… 遠く
に散らばった鶴達をようやくの思いで、千羽全て見つけだしたので
す。                           

 千羽が初めて集まったとき、それは一つの大きな鶴に生まれ変わ
りました。                        

 

 その日空を見上げた人は、様々な色に輝く一羽の大きな折り鶴
が、空へむかって高く羽ばたいて行くのを、不思議な思いで見たこ
とでしょう。                       

 

 神様の許へ。神様の許へ。あの子を助けるために、優しいあの子
を救ってもらう為に。金色の鶴に聞くまで、鶴達は少女の気持ちを
知らなかったのです。少女が心から友達を欲しがっていたことを。
その少女が死んでしまうなんて…              

 そして今、千羽の願いは一つになって…          

 

 雲を越え、空を越え、一瞬の光を越えると、そこに神様がいまし
た。                           

 

 大きな鶴は千羽の小さな鶴に戻りました。その中から金色の鶴が
一歩前に出ました。                    

「神様、お願いします。あの子を助けてあげてください!」  

 静かにそしてゆっくりと、神様は首を横に振りました。   

「どうして、どうして… 残酷です。神様は何故優しい小さな命を
奪おうとなさるのですか?神様ってみんなに平等の幸せを与えてく
ださるんじゃないんですか?」               

『全てはあるがままにある。何物も何物をも与えない。何物も何物
をも奪いはしない。全ては無であると同時に有なり。有であると同
時に無なり』                       

 言葉ではないものが周りを満たし、やがてゆっくりと神様が口を
開きました。                       

「『幸せ』というものには… 基準はない。量も… なく、質もな
い。あらゆる物の中にそれは存在し、また存在していないとも…
言える。全てはあらゆる存在の中にある。いかに受けとめるか。い
かに引き出すか。私はただ見ているだけの存在なのだ」    

「でも、でもそれじゃ、あの子の幸せっていったい何なんですか?
どうしてあの子は花瓶の中の花を見て幸せになれるんですか? ど
うして起きあがることのできた一日を幸せと見ることができるんで
すか? 道の向こうで季節が変わることがどうして幸せなんです
か? 窓から忍びこんだだけの風がどうして幸せを運んで来るんで
すか? 僕が飛び回るのを見てどうしてあの子は幸せになれるんで
すか? どうして… どうしてあの子はそれら全てを幸せとして見
ることができるんですか? 他の人にとっては、何でもない当り前
のことなのに… それが普通の生活を送ってる人の幸せと同じだな
んて、私は信じることなんてできません!」         

 神様は折り鶴の涙を初めて見ました。           

「あの子が幸せを感じることができるのは、あの子の心が優しさを
知ってるからなのに…そしておそらく、夢みることを覚えたからな
のに…」                         

 金色の折り鶴はさらに前に出て、神様の足元で羽根を折り畳みま
した。                          

「神様、お願いします! 私の飛ぶ力を奪って下さい。空を自由に
飛び回る幸せを、あの子が野原を駆ける幸せに、あの子が太陽や風
や草のベッドを感じることのできる幸せに替えて下さい。私にとっ
て、今度はそれが幸せとなれるように…」          

 

 その時、他の折り鶴達が一斉に口を開きました。      

「私も! 私の飛ぶ力も同じように!」           
「あの子に歩く力を! 走る力を!」            
「あの子の幸せは私たちの幸せ!」             

 神様は問いかけるように千羽の鶴を見回しました。みんなは一斉
にうなづきました。いま、同じように神様の目も濡れていました。

 

 少女の顔に生気が戻りました。医者がハッとして振り返って言い
ました。                         

「奇跡が起こりました!」                 

 

……… 今もなお折り鶴は、一つ一つの願いを込めて生   
    まれてきているのです。             
    自分の失った幸せを、折る人に与えてくれながら。 
    それはたぶん、目に見えないほどちっぽけな幸せ  
    かもしれません。                
    それをどう受け取るかは、貴方の心次第です  ………

 
 

 tsukida@jcom.home.ne.jp
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