ホーム
/
創作
/
日記
小説
ファンタジー(童話)
創作ファンタジー集「昼の流れ星」より
第五話 聖夜
『ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る…』
.
近くの教会から流れてくる歌声に、”昼の流れ星”は懐かしそう
に聞き入っていた。いつものように僕は言葉を待った。
.
「ちょうどこの時期になると思い出すよ。ほんのささいな出来事を
ね」
.
「話してもらえますか」
.
「そうさなぁ。それもよいかもしれん。あれはいったい、いつごろ
の昔だったろうか」
.
一人の貧しい青年がいました。
.
その年は記録的な不景気で、クリスマスを前に職も見つから
.
ず、その日暮らしもままならない状態でした。
.
その日も青年は雪の降る公園のベンチに座って、ポケット
.
の中のわずかな金を握りしめて、夕食はどうするか、今夜は
.
どこで寝るか、そんなことをぼんやりと考えていました。
.
色彩と音楽の街の賑わいに向けて、足早に通り過ぎていく
.
影、影、影。そのうちの小さな一つが自分の前で止まった気
.
配に、青年は顔を上げました。そこには自分よりもみすぼら
.
しい格好をした少女が一人、紙と鉛筆を持って立っていまし
.
た。
.
「お兄ちゃん、字書ける?」
.
「書けるよ。どうして?」
.
「お手紙書いて欲しいの」
.
「誰へのお手紙?お友達?」
.
「ううん。えとね。サンタさん」
.
「へーえ、サンタさんかぁ」
.
「その時青年が何を考えたかわしにはわからん。だがたぶん、自分
にもそういう頃があったことを思いだしたんじゃないかな。ひどく
懐かしそうな瞳をしとった。ちょうど、今の君のように…」
.
「そうですね。僕も昔は信じていましたよ。信じていたこともあま
りよく思い出せないくらい、遠い昔のことですが。大人になってい
くたびに、ずいぶんといろんな夢を失くしたような気がします」
.
”昼の流れ星”は小さく微笑んで話を続けた。
.
青年は少女から、紙と鉛筆を受け取りました。
.
「さあ、いいよ。まず始めは?」
.
「えーとね、サンタさんへ」
.
「はい、サンタさんへ」
.
「いつもプレゼントありがとうございます」
.
「はい、それから」
.
「でも今年はあたしプレゼントいりません」
.
「えっ、いいのかい。そんなこと書いて」
.
「うん」
.
「じゃ…それから?」
.
「そのかわりお願いがあります」
.
「クリスマスの奇跡を願う権利は誰にだってある。青年の顔に一瞬
安心したような笑みが浮かび、次の瞬間硬直した。きっとその幼い
願い事は、少女自身に関するものだと彼は思ったのだろう。しかし
…」
.
「…どうかママの病気を治して下さい」
.
青年は何も言う言葉を持たずに、ベンチに座ったまま幼い
.
少女の顔を見上げていました。
.
「終わった?」
.
「あ…うん、終わったよ」
.
少女は青年の手から紙と鉛筆を受け取ると、「ありがとう」
とピョコンと一つお辞儀をして、さっと駆け出して行きまし
.
た。
.
しばらくの間青年はその後ろ姿を見つめていましたが、何
.
かを思いついたようにはっと立ち上がると、少女の駆け出し
.
て行った方向に急いで走りだしました。
.
「なんとなくわかる気がします。理由を聞かれたら答えられないけ
ど、ひょっとしたら僕もそうしたかも、そうせずにいられなかった
かも、そんな気がします」
.
「そうだろうとも。君があの青年とたぶん同じ心を持った人間だか
らこそ、わしはこんな話を君にしてしまうんだろう」
.
独り言を呟くような口調で”昼の流れ星”は言葉を切った。
.
『雪を蹴り、野山越えて…』
.
歌声が白く染まって流れた。窓に一筋の残像が残った。
.
「今夜はホワイト・クリスマスですね」
.
雪が再び降り始めたころ、青年は貧民街の一角に立ってい
.
ました。
.
「ママ、おかゆできたよ」
.
「お前の分はちゃんと取ったかい?」
.
「うん、いーっぱい取ったよ」
.
「ほんとかい?」
.
青年は知ってました。少女が自分の分を、ほんのちょっぴ
.
りしか取らなかったことを。
.
窓の外の粉雪が”昼の流れ星”の光にきらめいて舞っていた。
.
青年は向きを変えて歩き出しました。自ら装っていた確か
.
な足どりも、街中に近づくにつれて次第に重くなりました。
.
流れるクリスマス・メロディ。家族連れの華やかな笑い声。
ウィンドゥに飾られたクリスマス・ケーキ。サンタの扮装の
.
サンドイッチ・マン。クリスマス・プレゼントを買い込んで、
にこやかに笑い合う人、人、人…
.
あったかい人混みの中で、青年は一人オーバーの衿を立て
.
て、それでも内からの北風を遮れるはずもなく…
.
”昼の流れ星”は振り返って窓の外を見た。雪はすでに地面を白く
塗り変えていた。
.
「振り返りさえすれば、青年はそんな全ての物をつかむことができ
た。走り出せば、駆け出しさえすれば、今でもたぶん迎えてくれる
だろう家があった。クリスマス・キャンドルの灯りに、青年は見て
いたに違いないんだ。『ただいま』と言うだけで、きっと呼び戻す
ことのできる幸せを」
.
「とても大きなものだったでしょうね」
.
「そうさな。当り前のものだからこそ、その時の青年の心にはいか
んせん大きすぎたのだろう」
.
メロディは『ホワイト・クリスマス』に変わっていた。
.
透き通った歌声を抜けて、粉雪は静かに降り積もっていく。
.
その日青年は一軒の薬局の前を、行きつ戻りつしていまし
.
た。以前は医学生だった青年は、少女の母親の病気が薬さえ
.
あれば治ることを知っていたのです。
.
でも振り返ることのできなかった青年に、そんな高価な薬
.
が買えるはずもありません。
.
クリスマス・イブの出来事です。
.
突然教会の鐘が鳴り始めた。
.
ディーン、ゴーン、ディーン、ゴーン…
.
その夜青年は少女の家に行きました。鍵などない扉をあけ
.
て、母親の枕元に薬を置いた時、雪明りの中で少女の枕元の
.
白い紙に気付きました。何気なく拾い上げた青年は、あとで
.
誰かに頼んで付け加えたのであろう言葉を知りました。
.
”昼の流れ星”は言葉を切った。
.
夕焼けの最初の光が”昼の流れ星”の光と混じって輝いた。
.
サンタさんへ
.
いつもプレゼントありがとうございます。でも今年は
.
あたしプレゼントいりません。
.
そのかわりお願いがあります。
.
どうかママの病気を治して下さい。
.
それから一つ聞いてもいいですか?
.
サンタさんはいつもみんなにプレゼント配ってくれる
.
けど、サンタさんには誰がプレゼントあげるんですか?
ママが、それじゃあなたがあげなさい、と言うので、
.
一生懸命作りました。変な形だけどよかったら受け取っ
て下さい。
.
「少女がほんとに一生懸命削って作ったのであろう木の十字架に、
麻紐を通した粗末なネックレス。それが刻印の付いたサンタへの贈
り物だったんだ」
.
”昼の流れ星”は目を伏せた。
「青年はそれを握りしめると、街の方へ向かって駆け始めた」
.
「あの薬局ですね」
.
”昼の流れ星”は目を上げて小さくうなづいた。
.
「開けて下さい。開けて下さい」
.
青年が扉を叩くと、店の主人が出てきました。青年は雪の
.
上にひざまづきました。
.
「すみません。僕はこのお店の薬を盗んでしまいました。
.
何も言い訳はできません」
.
「いや、君は盗みはしなかったよ」
.
優しい声で主人は答えました。
.
「でも、確かに…」
.
「いや、君はすぐにお金を返しに来たじゃないか。サンタク
.
ロースの扮装をして」
.
「そんなはずは…」
.
「いや、君だったよ。でなければきっと、本物のサンタだっ
.
たのだろう。さあ、立って。とにかくお帰り。今日はクリス
.
マス・イブじゃないか。君にも君のいるべき場所があるん
.
じゃないのかい?今日はそんな夜だよ」
.
空から静かに降りてくるものがありました。
.
「ほら、雪だよ。明日はきっとホワイト・クリスマスになる
.
だろう」
.
白い雪を自分色に染め上げて、夕陽が教会の向こうに消え始め
.
た。
.
「さぁ、わしの話はこれでおしまいだ。ささやかな出来事には違い
ない。それでも何故か毎年思い出すんだよ」
.
教会の方から美しいメロディが、様々な人の歌声を一つにして静
かに流れ始めた。
.
『聖し、この夜、星は、光り…』
.
「さて、そろそろわしの時間は終わりだ」
.
『救いの御子は、御母の胸に…』
.
「メリー・クリスマス」
.
”昼の流れ星”の後ろ姿に声をかけた。
.
「メリー・クリスマス」
.
言葉を残して”昼の流れ星”は空へ流れた。
.
『眠りたもう、いとやすく…』
.
夕陽に照らされた真実を僕だけが知っている。”昼の流れ星”の
尾の中に、赤い帽子を見ることができることを。
.
「メリー・クリスマス、マイ・サンタクロース」
.
歌声はまだ続いている…
.
tsukida@jcom.home.ne.jp
よろしければ、ご感想をお送り下さい。
創作の部屋へ戻る...
ホームページへ戻る...