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「姑獲鳥」の伏線、「魍魎」の妖しさ
ミステリとしての必要条件を完全に揺るがす、「姑獲鳥」のあの
アンチミステリたるトリック。これが何の伏線もないまま、いきな
り提示されれば、それはきっとミステリの枠を逸脱してしまっただ
ろう。勿論京極夏彦がそんな枠を意識したはずはないが、「小説」
としての要請条件が、ミステリとしての完成を促す方向と一致した
のだろう。その為に京極が用意したのが、あの伏線なのである。.
もちろん、伏線とは、ずばり、榎木津そのものである。 .
あのトリックを読者に対して成立させるために、榎木津という特
異なキャラクタが設定されているわけである(と私は思う)。 .
具体的には、榎木津があの部屋を覗き、「見たままじゃないか。
謎なんかない。馬鹿馬鹿しい。帰る」という意味のことを言った場
面を指している。「見たまま」もしくは「一目見れば誰にだってわ
かる」などというような台詞が、そのものずばりであるにも関わら
ず、読者を完全に欺いてしまう為に、榎木津は創造されたのだと思
う。 .
それに付随して、事件の中に取り込まれるべき語り手も、必然と
なるわけである。更にミステリとしての形式を完結させるために、
別の探偵役が必然となる。従って、あのトリックが3人を、当然の
要請として配置させたわけだ。 .
主要キャラクタそのものが伏線であり、それであのアンチミステ
リとしてのトリックを成立させた点で、私は「姑獲鳥」を高く評価
している。こういうアンチ性もまた、ミステリの大きな楽しみの一
つなのだから。 .
さて、もう一つの「魍魎」に関してだが、私がこよなく愛するの
は、あの冒頭の手記が、乱歩の夢のような話が、最後にぐるっと反
転して現実にすり変わる、あの妖しさである。 .
現実が段々あやふやになっていくような危うさを描いた作品とい
うのは、結構多いと思う。また、不可思議な謎が存在し、それがい
かに超自然的、あるいは妄想のように見えたとしても、最後には解
き明かされる作品も数多い。しかし、それは謎から何かを引き剥が
すことによって、成就されるケースがほとんどであろう。おそらく
はそれがミステリの本質だから。 .
しかし、この作品においては、何物も付け加えず、何物をも引き
剥がさない。先ほど「反転」と表現したが、それは不適当だったか
も知れない。夢と現実が反転の関係にあったとしても、この作品で
は、これがスライドするだけで、実に自然に夢が現実にすり変わっ
ていくのだ。この不思議なまでに美しい妖しさ。 .
そういう意味では、これもアンチミステリなのかもしれない。謎
から何も引き剥がさず、何も装飾を加えず、ただ「あるがまま」だ
ったのだ。見事に「姑獲鳥」と呼応しているではないか。 .
少々こじつけめいているかも知れないが、アンチミステリとして
の成立性が1作目よりは弱いので、これを第2位とした。但し、世
界の創造という点で、京極の代表作としては正直「魍魎」の方だと
思っている。 .