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「鴉」の真実?
(当然ながら、「鴉」の完全ネタバレです)
この作品は3つの話で構成されている。一つは珂允の視点から。
一つは橘花の視点から。一つは櫻花の視点から。 .
ポイントとなるのは、橘花と櫻花の話は呼応しているわけではな
く、全く別の時系列的においての(実に15年を隔てた)話という
点にある。橘花の兄は櫻花でなく、櫻花の弟は橘花ではない(こち
らはおそらく「あべる」でもない。「かいん」が旧約聖書にある.
「カインとアベル」の象徴であるように、「あべる」もまた、きっ
と別の本名があるのだろう)。 .
15年前弟に嫉妬し、弟になりたいというねじれた夢を抱いて、
櫻花は弟を殺してしまう。殺人にまで発展した「弟になりたい」と
いう歪んだ狂気は、櫻花の中に、弟という人格を形成してしまう。
自分自身の中の弟という人格への嫉妬は、切り離されることのない
まま、蓄積されていく。恐らく自分の中のプラスの部分に、マイナ
スの部分が嫉妬しているのであろうから、それは癒されることはな
かっただろう。そして、結婚を契機に歪みは最高潮に達する。 .
ここで人格は決定的に分裂する。人相すら完全に変えてしまうほ
どに。弟としての人格(仮称「アベル」)は、救いを求めて異郷の
村に迷い込み、庚として存在し、結局は救いを見いだせず、村を出
て、再び兄(としての人格)により殺されてしまう。15年前に殺
した弟の笑みを浮かべた死に顔が、そこで甦り、その笑みの意味を
知りたいが為に、兄(仮称「かいん」)は再度(彼の意識上ではあ
くまでも最初だが)、村に潜入する。 .
もともと、「かいん」が「あべる」を殺したことは、命名の時点
から、当然の予定調和であるものと思っていた。鈴虫との仮想会話
でもそれを象徴していたし。だから、この段階では特に意外性は感
じなかった。また、この手の意外性なら、通常の作者でも容易に踏
み入れることの出来る領域である。しかし、更なる逆転で「櫻花」
の名前が出てきたときには、愕然としてしまった。死んだはずの橘
花が、千本家の急を知らせに来た時点で、疑問符が浮かんだままだ
ったが、まさかこんな仕掛けを組み込んでいたとは!この常識破り
の構成、そしてこの不条理性は、麻耶の独自性によるものだろう。
ただ、やはり苦しいのは否めない。橘花と櫻花の名前の呼応はミ
ステリ的仕掛けとしてうまいし、記述の連続性は若干卑怯な気もす
るが、ミステリとしては問題ないレベル。しかし、二度目の死にま
つわる部分の記述は、今一納得し辛い不満は残るし、村を訪れた二
人が同一人物というのは、もう少し補足なり、補強が欲しかったよ
うな気がする。 .
実は私は、あべるとかいんは文字どおり外人ではないかと想像し
ながら読んでいた。名前的にはそうであっても不思議はないわけだ
し。何かそういうのがトリックに関連するのかもと思っていたのだ
が、それに関しては完全に私の深読みのしすぎだったらしい。しか
し、これが真相であったら、メルの云うように区別が付きにくい、
雰囲気によって別人に見えても仕方ないというのが、補強されるの
だが。ま、これは遊びとしても、もう一つ何か納得を促すものがな
いのは、やはり疵ではあるだろう。 .