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98年讀書録(1月)
1/17 仮面劇場の殺人 J・ディクスン・カー 原書房
「PANIC IN BOX C」の原題で知られていた、カーの代表的
な未訳長編の待望の翻訳である。私を含む多くのカー・ファン、カー・マニ
アにとっては、ほんとに待ち望んだ作品であったろう。二階堂黎人の解説に
「THE HOUSE AT SATAN’S ELBOW」も新樹社近刊
になっているし、創元からはようやくカー短編全集6も出る予定(しかも1
月だ)になっている。あと、「DARK OF THE MOON」ともう
1冊しか未訳長編はないようなので、この際是非とも勢いで出して欲しいも
のである、各出版社様。そういうわけなので、もし、この書評を読んでいる
のに、「買ってない」という方がいらっしゃったら、是非明日にも書店へ赴
き、どうか買ってください。これから誉めますから(笑) .
とはいえ、別に宣伝目的というわけではない。これまで長い間未訳だった
のが不思議なくらいの面白さを持った、紛れもないカー・ミステリだったの
だ。ロマンスと活劇の要素を持つストーリー展開に、ファースで味付けされ
た奇怪な殺人、それも得意の衆人環視中での準密室と来ている。怪奇色こそ
薄いけれど、存分にストーリーテリングが楽しめ、最後には、意外な犯人に
意外な犯行方法も明らかにされる、そればかりかロマンスにまつわる最後の
謎も解明され、真相はちょっとほろ苦さを含んでいるものの、カーお定まり
の甘いハッピーエンドで締めくくってくれるのだ。カー・ファンなら(当然
買っているでしょうが)、”買い!”で間違いないところ。カーは数冊読ん
だだけと云う人でも、結構楽しめる作品ではないだろうか。 .
但し、さすがに万全とは言えない。真相の隱し方は、今回かなりアンフェ
アっぽい印象を受ける。これが真相ならば、関連する人物の言動に、何かほ
のめかす伏線が欲しい気がする。今回この作品の評価が分かれるとしたら、
この部分が鍵になるのではないだろうか。カーのミステリ作法は、クイーン
のような理詰めと云うより、見事に張り巡らせた伏線を束ねた解明にある。
今回は犯人を示す細かい伏線は色々と張ってあるのだが、犯行自体に関する
伏線があまり感じられなかったのが、この感触を深めているようにも思う。
しかし、やはりカーである。意外なフーダニット、ハウダニットを盛り立
てる小道具の使い途など、非常にうまさを感じさせる。登場人物の会話も皮
肉と洒脱に富み、ロマンスの味付けもいい。皮肉の中に、しっかりと伏線を
盛り込んでいることで、やるせなさをも感じさせかねない最後の真相も救わ
れている気がする。やはり、カーはハッピーエンドだよね。 .
カーの待望の翻訳というだけで8点は約束されているようなものだが、そ
れに見合う愉しみを十二分に味あわてくれた。堂々の8点献上である。 .
1/28 OUT 桐野夏生 講談社
日常から「OUT」していく女(女達?)を描いた作品と言えるだろう。
人としての生き方からも「OUT」していく、せざるを得ない男女の物語.
(しかもピカレスクであり、ラブストーリーでもある類の物語だ)とも言え
るのかも知れない。 .
「このミス」の1位という理由のみで、取りあえず読んでみたのだが、結
論としてはやはり「私には不必要」なタイプの本であり、作者であったよう
だ。もちろん狭義のミステリではないから、という理由のみではない。小説
としての展開の方向が、私には違和感があり、読み進むに連れて、しらけて
しまったのだ。高村薫の暗く重く退屈極まりなかった処女作よりは、はるか
に良かったが、それにしても相容れない感覚を強く感じた。同じ場面を相手
の視点からつなぐ、そういうのりしろのようなシーンを積み重ねて、重層的
につないでいく小説手法は、なかなか興味深かったのだが。 .
読み終わってみて、そういう違和感の原因として、「リアルさ」と「こわ
さ」にあるかもしれないように思ったので、ちょっとそれについて書いてみ
ようと思う。 .
まずは「リアルさ」についてだ。本書を非常にリアルなものとして受け止
められるか、あるいは違和感を感じるか、きっと人それぞれだろう。私はま
ず、生理的なリアルさは非常に感じたのだが、心理的なリアルさが、段々と
薄くなっていったように感じられた。 .
一番怖く、そしてなんだか妙に生理的な、ぬめぬめとしたリアルさを感じ
たのが、佐竹の過去の女の話だった。「びょういん」という言葉が、凄い存
在感をもって胸に迫ってきたように思う。しかしそれも後半、佐竹の欲望が
剥き出しに、あらわになっていくに連れて、次第に読んでいるこちらの方が
醒めてきて、段々しらけていってしまった。クライマックスの廃工場でのシ
ーンは、滑稽であるかのようにすら感じられた。 .
リアルさの違和感は他にもある。出てくる女達にしても、私はもっとどろ
どろしたものに、なるように思う。金が絡んでいるのに、意外にあっさりと
しているのではないか。 .
また雅子自身にしても、遂に一体感を覚えることはなかった。主人公が雅
子であったことが、「リアルさ」を阻害している要因なのかも知れない。お
そらく作者に最も近い人物だけに、逆に「物語」としてのリアリズムから浮
き出してしまった可能性はないだろうか。 .
このことは、次の「こわさ」についても関わっていく。本書は、基本的に
は「こわい」小説なんだと思う。もちろん、ホラーだとかそういう類の怖さ
ではない。業や、心の闇や、簡単に日常から「OUT」出来てしまう人間の
脆さ、そういう「こわさ」がひしひしと伝わってこその本書の魅力だと思う
のだが、中心であるべき雅子から、何よりその「こわさ」が感じられなかっ
た。「何故」という戸惑いがあったせいもあるが、きっと別の理由もある。
「切れる」女は、「切れた」女ほどは怖くない(前者は「頭が切れる」の
「切れ」で、後者は「ぶち切れる」の「切れ」であることにご注意)。理性
には理性で対応がきく気がするし、まず怖さよりも感嘆の方が先に立ってし
まうようだ。「切れた」女は理詰めで追い詰めると逆効果。これは手の付け
ようがない。しかし、ほんとにもっと怖いのは、きっと「切れない」女なの
だ。内に秘めたまま、静かに燃える炎。弥生の殺人から、全てが始まったよ
うに。 .
「切れる」女の書いた、「切れる」女の物語。その前では、男は滑稽にな
らざるを得ないのではないか。廻りの女達もまた。そして、それが「リアル
さ」と「こわさ」を失わせていき、私にとっては交錯することのない、「世
界の違う」話になってしまった一番大きな理由なのかもしれない。だからき
っと私は桐野夏生の読者になる資格がないのだろう。やはり採点としては、
6点になってしまうようだ。 .
1/30 幻惑密室 西澤保彦 講談社ノベルス
ひょっとしたら、段々西澤保彦にも飽きが来てしまったのかもしれない。
最近はどう見ても森博嗣に水をあけられている西澤保彦だが、同時期に二人
の本を買っても、やはりまだ西澤保彦から先に読む、という程度には好きだ
し、期待もしている。たしかにそう自己分析はできるのだが、読んでる途中
のわくわく感は、すでにあまり感じられなくなってきた気がする。 .
相変わらず、設定を作るのはうまいと思うのだが、一旦そこでルールが設
定されてからは、なんだかこじんまりと、まとまってしまっちゃうような印
象を受けてしまうようだ。毎回素直にルールの枠内に収まるのではなく、逆
手に取ったり、2段3段の裏の裏を用意したりと、きちんと工夫している様
ははっきりと見て取れるんだが、それでもどうも意外性や面白味につながっ
ていってくれない。美食も続ければ飽きる、ということだろうか。最近のは
美食とは思えないにしろ。それとも、美人は3日で飽きるが、ブスは3日で
慣れる、ということか。いや、そのたとえは変だと思うぞ。 .
それとやはり、真相の説得力がこのところ落ちているように思う。もとも
と大技系(というより、ひねり技系か?)のミステリを得意とする作者だけ
に、若干の強引さは必要経費として認めてあげられるのだが、正当性に欠け
てくるのは、どうもいただけない。ひょっとしたら、もともとそうだったの
だが、あの問題作「死者は黄泉が得る」の不親切なラストの唐突性以来、そ
ういう説明不足、根拠不充分な作品が目につくようになってきただけなのだ
ろうか。 .
今回の真相も特に不自然さが目立つ。羽原のエピソードの中に、伏線とし
て描かれてはいるのだが、やはりとってつけたような、後付けの匂いぷんぷ
んで、ちょっと感心できなかった。そろそろ西澤保彦にも5点を付けてしま
う日が来そうだ。まぁ、今回は嗣子ちゃんのキャラに免じて、ぎりぎり6点
にしておくことにしよう。 .
ところで水玉蛍之丞、P310の書き文字の入ったイラストは、彼の個性
が発揮されてて凄くいいのだが、P81の能解警部なんかは、ちょっとへた
っぴぃ過ぎないか(笑)? .