8/3 紅楼夢の殺人 芦辺拓 文藝春秋
山田風太郎「妖異金瓶梅」という超弩級の傑作があることを、当然意識し
すぎるほどに意識して、それでも敢えて中国四大奇書に挑戦してくるのだか
ら、並大抵でない趣向が用意されていることは容易に推測出来る。なにしろ
芦辺拓。特に競作の場(「鮎川哲也読本」など)では、他を圧倒するレベル
の作品を繰り出してくれる氏のことだ。大きすぎるほどのライバルに対して
いかなる妙手で自己を主張してくれるか、期待出来るではないか。 .
その結論の前に、まずは意外な読みやすさに驚いた。中国人名に登場人物
の多さ。最初の家系図を見ただけで、拒否反応を起こしてしまう人も多いこ
とだろう。私も序盤は不安感を感じていたのだが、幸いにも心配は杞憂に終
わった。すんなりと世界に入っていけて、人物に混乱してしまうこともなか
った。原典を知っていれば数々の見せ場が呼応していて、よりいっそう楽し
めるのだろうが、残念ながら自分にはそれほどの教養はない。 .
で、いよいよ探偵役による解決編。実はここではそれほどの意外性は感じ
られない。ある程度読み慣れた読者なら一応の予測の範囲内で、不可能犯罪
の謎解きとしては、物足りなさを感じてしまうほどかもしれない。 .
しかし本書の真骨頂はその後に訪れる。「ミステリ」としての成立性その
ものを揺るがせる逆説的な提示。壮大なアンチミステリとして、本書は意図
されていたのだ。真にミステリを知る者に、より衝撃を与えるこのクライマ
ックスは、今後も語り継がれるだろうインパクトを持っている。ミステリを
知り尽くした作者だから到達し得た地平。採点は8点としたい。 .
8/4 語り女たち 北村薫 新潮社
十七人の「語り女たち」が披露する幻想譚。文学の香り。毒もなく、幻想
味もそれほど強くなく、ただ心地良く語りに引き込まれる作品。 .
というわけで本作を語るには、北村薫の「語り」を語ることに必然的にな
ってしまうことだろう。普段からミステリを論じるに当たって、小説として
の要素は敢えて排除している自分としては、本作を語る資格はありません。
そもそもミステリではないし、採点も放棄。短いがこれで。 .
8/7 キマイラの新しい城 殊能将之 講談社ノベルス
ミステリ界随一の曲者らしく、またもや捻った作品を送り出してくれた。
現代ミステリでありながら、時間軸をいじることなく、タイムスリップ物歴
史ミステリを同時展開させるという新機軸。相変わらず(と言ってもいいよ
ね)ほんとにしょうもないトリックなのだが、この「時間軸をいじらない」
というところが肝になっているあたり、「下らない」と一言で片付けられな
いひねくれようだ。 .
本作においては既にミステリ・パロディと云うよりは、ミステリ・ファン
タジーの範疇にまで踏み込んでいるのかもしれない。批評精神を敢えて読み
解くよりも、空想物語として楽しんじゃった方がお得だろう。”失敗する名
探偵”石動戯作の情けなさ振りも直接的な表現になっていて、もはや「本格
ミステリの壊し方」云々の延長線で語るのはやめようと思う。 .
ということで、設定のひねくれようとは不似合いなくらい、比較的ストレ
ートなコメディ路線で楽しめちゃったというのが正直なところ。ただし自分
のスタンスとしては、どうしても「ミステリとして」という枕詞で判断する
のが基本姿勢なので、採点としては6点。 .
8/16 QED鎌倉の闇 高田崇史 講談社ノベルス
鎌倉観光案内、、、ただし、桑原タタル版。というわけで、トラベルミス
テリ(ほんとに?)と云っても、あまり旅情に浸ってしっとり、というわけ
にはいかない。ちょっと小ネタで小休止とでもいったところだろうか。この
手はちょっと安直な気もするので、パターン化はしないで欲しいな。 .
歴史の謎も今回はアクロバティック性に欠けていて、ちょっと物足りない
感がある。源頼朝かわいそう、と小学生並みの感想だけ漏らして終わりにし
よう。日本人好みの義経の方ならば、可哀相さも芸のうち(?)なのだが。
現実の事件も関連性はないし、繰り返しパターンに持ち込まなければいけ
ないあたりが、素材のアイデアの弱さを示している。シリーズ通しての趣向
に持ち込めていないところも減点要素。今回は異常心理とも言えないし。し
かし今となっては、本当にそのつもりがあったのかどうかは疑問だけどね。
探偵が薬剤師という設定から、狙っていたとは信じているのだが、作者自身
は”縛り”としては全く意識していなかったのかもしれない。 .
ちょっと興味深いのは、榎木津や開かずの扉研究会のサキのように、嘘ア
レルギーを今後も特殊能力として使ってくるのだろうかという点だ。 .
採点は低レベル6点。しかし、次回は多分桃太郎伝説。これは期待出来そ
う。津山三十人殺しにも触れているが、まさか関係づけてくるってぇのか?
8/18 ぶたぶた日記 矢崎在美 光文社文庫
今度は光文社文庫(笑) そろそろこれで落ち着き先が決まったと思って
もいいのだろうか。そういうごたごたもあったせいか、3年近く間をおいて
の久しぶりの新作。「お待ちかね!」という人も多いはず。 .
本来ならば、そういう人達に対して、今回もいつものように楽しめますよ
ぉ〜と無条件でお薦めしたいところだが、今回はちょっと微妙。 .
このシリーズってやっぱりファンタジーなんだと思う。「ぶたぶたのいる
世界」ってのが凄く自然に設定されている。各話の主人公だけが始めはやっ
ぱり「不自然」に感じるんだけど、自分の心の中の穴がなんとなく柔らかく
ふさがる時には、それはもう「自然」になっている。 .
読者だってきっと同じ。どれか一冊読み終える頃には、もうすっかり自然
な世界になりきってるから、新しいお客さん(新しい話の主人公)を暖かく
迎え入れられる。その人もすぐ自分の仲間になることがわかってるから。.
だから本書の最終話で、せっかくのその自然な世界を、現実世界に引き戻
すなんてことして欲しくなかったな。ちょっと悲しく思えた。だから微妙。
初めての方は是非「ぶたぶた」もしくは「刑事ぶたぶた」からどうぞ。ぶ
たぶたのいることが自然に思えたら、もう貴方はこの世界の住人です。 .
8/20 さよならの代わりに 貫井徳郎 幻冬舎
おお、ミステリの帯にハセキョン。メインターゲットはセカチュー読者?
ってのも納得のいく、青春小説あるいは恋愛小説に仕上がっている。口コミ
や書店のポップで一躍メジャー化した貫井氏にとって、決して路線変更では
なく(と信じたい)、路線拡大の方向で新しい読者層を取り込むきっかけと
して、歓迎する方向で好意的に受け止めたい。さすが幻冬舎商法。 .
そういうメジャー路線作品だけあって、ミステリとして読むには弱い。真
犯人は意外性の欠片もないし、メイントリックも一つの長編を支えるだけの
インパクトを持ったものでは全くない。ヒロインももうちょっとやりようあ
ったんではと思えるのも、ミステリ寄りの観点からは残念なところ。 .
そういうわけで本書を語るには、別の視点からがふさわしい。個人的に大
好きな、あるテーマ物として捉えるのが一番自然だと思う。その観点からは
新機軸も盛り込まれていて、私は十二分に満足出来た。もうちょっと切なさ
度をアップしてくれてもいいのに、というのは欲張り過ぎか。 .
いやいや、本書はやっぱり恋愛小説の観点から、、、というのは別の方に
お譲りしておこう。ミステリとしてはせいぜい6点止まりだが、この系統に
は弱いので7点進呈。で、恋愛小説としてはどうよ? 教えて、偉い人。.
8/31 監獄島 加賀美雅之 カッパノベルス
近年の傾向として、本格ミステリという形式そのものやその独特のガジェ
ットに対し、切り込みをかけてくる作品が目立った活躍を示している。本年
度の例で云えば、乾くるみ「イニシエーション・ラブ」、芦辺拓「紅楼夢の
殺人」、麻耶雄嵩「螢」「名探偵木更津悠也」などがその傾向に当たる。.
たまには直球の本格で秀作を読ませてくれ、という渇に応えるかのように
本年度は大林誠一郎「アルファベット・パズラーズ」、法月論太郎「生首に
聞いてみろ」という作品が登場してきた。一方で探偵小説としてがっつりと
構築された作品とも格闘してみたい。それに対しては綾辻行人「暗黒館の殺
人」ということになるかもしれないが、それよりも私はこちらを買う。 .
不可能犯罪のオンパレードは、今回はまた一層拍車がかかっている。これ
だけ構築しまくってくれれば立派。堂々とした秀作だと思う。「人狼城」が
好きな人には、特にお薦め出来る作品だろう。 .
但し、大きな不満もある。犯人もメイントリックも、読めてしまうのだ。
フェアプレイとして伏線を意識してるあまり、書き込みすぎの感がある。意
味なさげに見せかける行動をわざわざ書き込んであるなら、それはミステリ
的に意味があるのは自明。そこからの逆算でトリックまで読めるのは勿体な
さすぎ。書き手側の視点から、見透かすことの出来る要素も多い。真犯人の
仕掛けなどは、この視点から見てこうだろうと当たりが付いてしまう。 .
正体は意外にちゃちい針と糸系物理トリックも、もういい。一つでも全体
の印象を低レベルに落としてしまう。トリック、プロットと充分な構築力を
備えているのだから、絞り込んで引き締まった作品を読ませて欲しい。 .
読者サービスも不要。「ここまで書いてるのに見落としたでしょ、へへ」
な部分は、そうそう読者も見落としてくれません。”見せる”伏線など止め
て、”隠す”意識で徹底的に攻めて欲しい。あるいはいっそ見えやすさを逆
手にとって、ミスリードの手法を目指してみてはどうか。 .
期待度が高いので厳しいことを色々書いてみたが、堂々とした本格っぷり
は大いに買っている。本年度の収穫の一つだろう。採点は7点。 .